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薔薇と共に咲く 遺言の続き


今日は毎年欠かせない薔薇と一緒に咲いている宿根草の紹介2016年の開花
昨年の紹介がまだ少し残っているので時間の許す限り紹介したいと思う
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まずはアストランティア
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毎年必ずジュビリーセレブレーションとコラボしてくれる宿根草
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もうメジャーな宿根草になっているがこの独特の花容は何年経っても飽きが来ない
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ゲラニウムのジョンソンズブルーも我が家の定番
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以前紹介したオリオンもそうだがゲラニウムの青系が特に好きで幾つか集めていた
オリオンやロザンネ、最初は葉が黄色くカラーリーフとしても楽しめるアホみたいに高いゲラニウムなんかも植栽した
しかし僕はジョンソンズブルーが色々な意味で一番好きだ
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花弁は殆どが五枚でブルーに赤紫が乗る
僕は花弁の中心に白が入る品種よりも花弁全体が同じ色の花が好み
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かなり長く花を咲かせ続ける品種も有るようだが僕は人に見せたいのではなく
自分で気に入った花を植栽しておきたいのでこれで満足できる
と言うよりジョンソンズブルーにしてもアストランティアにしても宿根草の花としては花期は長めだと思う
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次は前に紹介したゲラニウムのオリオン
こちらはジョンソンズブルーを大型にしたようなゲラニウムで花期が長いらしい
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ゲラニウムのネット通販などを見ていると青いゲラニウムはどれも殆ど同じに見えるが
実際に咲くと結構違いがある、しかしジョンソンズブルーとオリオンはとてもよく似ている
こちらは五枚の花弁だが時々六枚の物が入り、ジョンソンズブルーの方が少しだけ青味が強く感じる
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これはわりと新しく入れたゲラニウムのミセスケンドールクラーク
葉脈のように花弁に筋の入る変わった花のゲラニウム、ジョンソンズブルーやオリオンよりも一回り花が小さい
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ゲラニウムは見ている限り三タイプの伸び方をする
フワッと茂るジョンソンズブルー、それよりも密に茂るサンギネウム
ジグザグと広がりながら咲く小輪に多いタイプ
そしてミセスケンドールクラークのような直立タイプ

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サンギネウムは結構しっかりした茎を持っているが大体は水っぽい茎で
風当たりが強い場所にはあまり向かない
このミセスケンドールクラークは何度も強風になぎ倒され秋にはとうとう移植してしまった
この辺りの雰囲気を変えようと導入して品種だったので強風が恨めしい
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昨年は風が強すぎて薔薇とのコラボ写真を殆ど残さなかったが
今年は薔薇と一緒に咲く姿が記録出来ればと思っている

で、ここからは前回の記事の続きの記事
遺言とか死の話とか興味のない方はここまででやめておいた方が良いでしょう
記事を見てくださって有難うございました
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先日の記事(遺言)についてちゃんと書かなかったことについて書いておこうと思う
実は前回の記事にはダラダラと沢山書いたのだが、見る人に考える事を辞めさせてしまうと途中であっさりした内容に変えたのだった

僕がもしも居なくなる事が有れば庭をすべて無くして欲しいと言ったのは事実
しかしそうしなければいけないとは言ってない
残したければ残しても良いとは思う、でも今を見る限りでは辞めておいた方がいいよという事
自分で管理しているので庭の事は自分が一番よく知っているが、安易に考えると後に大変な目に遭うのが目に見えているからだ
しかし僕の家族は皆さんが記事で良い所だけ見ているのとは違って興味は無くても現実を何処かでちゃんと見ている
誰も居ないような時間に早起きして庭の中をイソイソ動き回って何かしていること
湿った雪が降るなか吹きすさぶ北風に震え一人庭に出て庭仕事、サビ~っ!!と言いながら部屋に戻る
すると子供に お父さん鼻水垂れてるよ!汗
手が傷だらけになって誘引、そしてその後のとげ抜き
家族は僕がどのくらい庭に手をかけているのかちゃんと知っているのだ

もしも僕が急に居なくなったりしたら家族は庭の植物をどうするだろう?
僕があんなに大事にしていたからと切ったり抜いたりできないのでは?と思う
もしも切ったりしたら化けて出てくるんじゃないかと思うかも(笑)
僕はガーデナーである以前に夫であり父である
だからこそ自分に気を使わずに好きなようにして欲しいという事を言いたかった
死期が判っているのなら自分で片付けても構わないが突然居なくなる事だってじゅうぶん考えられる
僕に気を使って家族が辛い思いをする必要なんてない
大体僕は自分の好きな植物で嫌な思いなんて絶対にしてほしくない
僕は好きだから苦にならないが好きじゃない人にとっては草取りや庭の掃除やらは苦痛でしかないだろう
特に冬囲いなんか最悪、だけどしなければ薔薇なんか皆春にはバキバキに折れてしまう
ただ忠告として残したいと思っても大きな薔薇だけは辞めておいた方が良いと言った

皆さんお察しの通り
庭が崩壊するまでには三年もかからないだろう
我が家は根の元気な雑草は今のところ無いので一年目は薔薇がボーボーになり雑草がちらほら目立つようになるくらい
二年目ボーボー伸びた薔薇はバッキバキに折れ、根元からシュートを吹くが目立たなくなってしまうだろう
雑草の根に力がついて雑草なのか宿根草なのか区別がつかなくなってくる、同時に強健な宿根草の実生が所狭しと生えてくる
三年目には宿根草よりも雑草の方が大きくなっている、伸びた薔薇がまた雪で折れて雑草に埋もれる
庭は混沌と化し、以前は庭を通りかかると お!なんだこの庭はと目立ったが
三年目になると おうっ!なんだこの庭!!ヤバい感じだな・・・と違った意味で目立ってしまう(笑)

僕はどうせ死んだら庭なんか見れないので全く気にする必用はない、思いなんか残こしてない、いや残せない
死後に家族や知人を見守っているとか死んだら生まれ変わる、なんて言うのは人間の都合の良い考え方だと思う
故人を敬う気持ちはもちろん僕にもあるが
死というのはその後が有るものではなく僕は無を意味することだと思っている
死んだ途端に全てが無に支配される
感覚は無く、思考も停止、まさに何も無い、一切の無
残されたのは元自分だった肉、思考が停止しているのでそれすら知ることすら出来ないだろう
死後、というのが有ると思うから死を軽視する事も多いのではないだろうか
実際には死後は残された者のみが知ることであり、死は死でしかなくその先など有り得ないのだ
地球上の生命全てに死後が有ったら大変な話である、人間だけでも70億も居るのに全ての人に死後があるのだろうか?
宗教的な話はあまりしたくないが、僕は宗教というのは霊を救ったり天国に導くものでは無いと思っている
実際は残された者の為に存在すると思っている、残された者の傷心を癒し大切な者の死を受け入れる為の救いが宗教だと
もちろん必要ないと言う事ではなく、見守られている、生まれ変わっていると思う、それによって救われる人は数知れず居ることだろう、その為に必要な事だと思っている
死は完全なる無、その後は何も残らない
だからこそ次に期待せず一生懸命に今を生きるべきだと思う、生きている事を大事にしてほしい
ずっと会ってなかった大切な人に最後に会ったのが葬式というのは多いのでは?それでは切なすぎる
突然の別れは本当に突然だったのだろうか、葬式に行ってももうそこには大切な人は居ない
葬式に行くのは遺族に対して生前のお礼や遺族の悲しみを分かち合う為に必要だと思う
しかし逆に葬式に行けなかったとしても大切な人こそ会えるのなら生きている内に会って思い出を残すべきだと僕は思う

・・・気が付いたら物凄い脱線していた。大汗
(ここに書いたのは個人的な思いです、不快に思ってしまった方申し訳有りません)

最後は関係ない話になってしまったが、これを含め今日は三連続でアップする予定なのでこの記事は埋もれてしまうかも知れないがそれでも良い
そんなわけで家族は家族で僕が居なくなっても庭に囚われる事無く、精一杯今の自分を生きてほしいという遺言でした。










by tsukiiro2613 | 2017-05-20 18:37
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